これから行くので、床暖のスイッチを。八ヶ岳スタイル17号
八ヶ岳スタイル17号 菅間別荘地オーナー 田口尚登・明子さん一家
今回の八ヶ岳スタイル巻頭インタビューは、まだ50代になったばかりのご夫婦の登場。今までのオーナーズヴォイスでおそらく最年少記録ではないでしょうか。神奈川県大和市に自宅のある田口様一家は、現在のホンカログホームを建てたのが5年前というから、40代半ばの頃から八ヶ岳ライフを満喫されています。現役世代から八ヶ岳を満喫するその魅力とは。
海の次は山がいいなと、八ヶ岳へ。
もともと奥様のお父様が伊豆に別荘を持っていたこともあり、子供ができてからもよく伊豆に行っていたという田口さん家族にとって、週末を別荘で過ごすというライフスタイルは特別なものではなかったという。
「伊豆は夏よく行ってましたね。子どもたちも一緒に。そのせいか、自分たちも将来リタイヤしたらどこか拠点が欲しいと思うようになりました。海もいいんですけど、私たちは二人ともスキーが好きだったので、山の方がいいかなと思っていました。」
学生時代を京都で過ごした奥様の明子さんは、上越よりも信州方面へ出かけることが多かったこともあり、結婚後も車山やエコーバレーなど、長野県エリアがお気に入りだったという。
「実は20年くらい前に家内の父に白樺湖の近くに別荘を買ってもらったんですね。スキーに行くにはすごく便利なロケーションなのですが、もちろん雪がたくさん降るところですから、別荘に着いたらまず雪かき。私がラッセルして駐車スペースを作り、玄関までの斜面の雪をかいて、とにかくひざから腰くらいまで雪が積もっていましたからね。」と当時の様子を振り返るご主人の尚登さん。
「それに比べれば、ここは雪が少ないので本当に助かります。私たちも年をとったら、毎回雪かきはできませんからね。前の別荘が斜面に建っていたので、玄関までの雪かきの大変さや、家内の母の足がわるくなったのをきっかけに、八ヶ岳に買い替えました。」
雑誌「欲しいリゾート」の広告を見て、体験宿泊をしたり、安曇野にも行ってみたりしながら、10年ほど前に現在の場所に土地を購入。そして2006年12月に現在のホンカログを新築。
「前の別荘は結露しないくらい風通しがいいので、とにかく寒かったです。ストーブも3台使って、毎日1缶くらいの灯油を使っていましたから。それに比べると、ここは本当に暖かくて助かります。雪も少ないし、ログですから断熱性に優れているので、冬でも天気が良ければ日中は暖房なしでも大丈夫。夜も薪ストーブに薪を詰めて、それで朝まで大丈夫です。」
友だちと大勢でスキーに来ることが多い田口家は、大人数で別荘を利用することが多く、冬の暖房費は馬鹿にならなかったと言う。
「トイレやお風呂がとても寒かったんです。だから、家の中の温度差がない家が欲しかったですね。吹き抜けもありますが、この薪ストーブで充分。トイレもお風呂も温度差がないので、おばあちゃんも安心です。」
Nゲージ専用の部屋を。
それともうひとつ、この別荘を買うための大きな目標が田口家にはあった。末っ子の博登くんがまだ小さい頃、お母さんの明子さんが博登くんと「10歳になるまでには新しい別荘を建てようね」という約束をしたと言う。
「今でも私たち二人とも現役で働いていますけど、働き続けるモチベーションを維持するために、自分たちにタスクを与えたんですよ。それで、この子が10歳になるまで、何とか新しい別荘を建てようという目標を立てて、そのために一生懸命頑張っているということもありますね。」
取材の日、両親と一緒に話を聞かせてくれた3人兄妹の末っ子、中学3年生の博登くん。生まれた時から週末や夏休みには別荘に行き、家族で過ごすという生活を送っていたせいか、別荘に行くことが生活の一部になっていたという。
「本当に新しい別荘を建てちゃうっていうので、だったら3畳くらいでいいからNゲージ専用の部屋を作ってってお願いしました。」
2階のロフトスペースは、本棚とNゲージが占有し、ここなら片付けずにそのままにしていてもいいということで、博登くん専用のスペースになっている。
「とにかく私が本好きで、ジャンル構わず本を買って来て読んだ本は捨てられないという性格でもあり、大和市の自宅も本だらけ。これ以上本を買い込んだら床が抜けるというので、本を収納する棚も欲しいという目的もありました。」と明子さん。
田口家の別荘は、玄関を入ってすぐ、リビング、ベッドルーム、ロフト、どの部屋に行っても、大きな書棚があり、まさに乱読の結果の書籍がズラリと並んでいる。本を入れても棚板が歪まないように造り付けにして作ってもらった本棚には、まだまだ新しい本が並びそうである。
敷地は2区画を購入した。自然の雑木林に面した広い庭には様々な種類の木を植えたり、もちろん野菜も作っている。
「もともと自分で色々なものを作ることが好きで、子どもの洋服づくりから、食事はもちろん、野菜作りも市民農園で20年くらいやっています。子どもたちに食べさせるものも、できるだけ自分で作ったもので、塩と自家製味噌だけで味付けをして食べさせるようにしていました。そのせいか博登も水の味の違いが分かるようになって、お姉ちゃんも家の味噌汁でないと飲めないって言ってます。」